2014年4月30日水曜日

誰でも15分は世界的な有名人になれる



「将来、誰でも15分は世界的な有名人になれるだろう」

アンディ・ウォーホルの言葉。

六本木の森美術館で開催されている
アンディ・ウォーホールの展覧会を見てきました。

「永遠の15分」というテーマで、上記の言葉が使われていました。

「世界的な有名人」って、どういう人のことかしら?
15分」を、どう考える?

いろいろ発想して解釈してみると、
広がりのある言葉だと思います。

私は、今日の、この一瞬を、輝けるように頑張ります。

自分らしく頑張っている一瞬があれば、

その一瞬の私は、「世界的な有名人」といえるかもしれません。

2014年4月28日月曜日

あせらず あわてず あきらめず




あせらず
あわてず
あきらめず

ゴールできました!

千代田区にある勤務先から
渋谷区の自宅まで、
歩いて帰りました。

定期をなくしてわけでも
お財布を忘れたわけでもありません。

私は、地図が苦手で、
地図をみても、
道路がよくわからない・・・(涙)。

実際に歩いて、
自宅と勤務先の方向関係を覚えておこうと思いました。

ちょっと疲れた頃、
通りかかった大きな神社に掲げてあったのは、

「人の世は あせらず あわてず あきらめず」

言葉って、降りてくるんですね。


2014年4月25日金曜日

聞く と 聴く



「聞く」と「聴く」

「聴く」は、意識を傾注して受け入れること。
「聞く」は、耳を澄まして、自分の内に響かせること。

耳を澄ますということが大事で、
自分の内面を波立たせずに、静かにキープして、
その中に入ってくるものの響きを感じ、刻みつける。

「聞く」とは、そうした非常に繊細で、
なおかつすべてを受け入れる寛容な行為だと思います。

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イチロー選手や、中田英寿選手のインタビューをしている
ライターの小松成美さんが、
「聞く」と「聴く」について書かれていました。

聴くは、音楽や講演を鑑賞する行為。
聞くは、まさに話を聞く。
鳥の声や、風の音に耳を澄ます行為としています。

小松さんの場合、
「聴く」よりも「聞く」ほうが、
積極的な行為だと感じているそうです。

相手の話を受けとめて、
自分の中で、響かせる。

言葉をキャッチする力が大切だけど、
キャッチしたものを、静かに受けとめる力は、
もっと力量がいる気がします。

器を大きく育てないといけないですね。

2014年4月24日木曜日

目の前の、この気持ちをシャンとさせる



いま一番大切なのは
どこの国と
どう駆け引きするか、ということより

目の前の、この国の、
ボクたちの、この気持ちを
どうシャンとさせるかということである。

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花森安治の言葉です。
(河出書房社「灯をともす言葉」より)

目の前の
この気持ちを
どうシャンとさせるか。

日々の姿勢が、
より豊かにいきるための秘訣かもしれません。


2014年4月23日水曜日

できる奴は






できる奴は、空気を敏感に感じて
言葉を慎重に選ぶもんだよ。

文庫本を買ったら、カバーにこんな言葉が記載されていました。

論語の「事に敏にして、言を慎み」
を分かりやすくした一言のようです。

私は、頭の回転が遅いので、
他人から言われた言葉を後から
じっくり考えることが多いです。

言葉を慎重に選ぶということ、
たいていの場面で、できていないです。

実際、取材のインタビューを書き起こしていると、
他人に対して、偉そうな言い方をしていたり、
相手の言葉を受けとめきれていないことに
気づくこともあります。

言葉を慎重に選ぶのは、
取材するときに、とても大切なことなので、
この欠点、なんとかしなければと思っているのですが

緊張したり、慌ててたりすると、
ますます、うまくいかないです。

できる奴は、
空気を敏感に感じて
言葉を慎重に選ぶもの。

できない奴は、
どうしたら、
できる奴になれるのかしら?

努力せよ。
ということかな。

2014年4月22日火曜日

うそではないけど、事実でもない




ウソではないけど、
事実でもない。

取材者が、書いているものは、
そういうものかもしれません。

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ライターは「特権者」である

当事者に対しても、読者に対しても、

何を書くか、どう書くか

裏を返せば、

何を書かないか、どう書かないか、
は、ライターの自由である。

だからこそ、自分の書いているルポが

< むなしいこと >

< 真っ赤なニセモノ >

だという苦い認識をどこかにもっていないと、

その文章は

たちまち鼻持ちならない正義感や

したり顔の解釈の腐臭を放ちはじめるだろう。

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作家の重松清さんが書かれていた一節。

「書くこと」は

何かを、表に出すこと。

しかし、

その何かは、文章にされた途端、
「事実」とはいえないところが出てきます。


祀り上げたり、叩いたり、
というのは、極端な例ですが、

文章として表に出されたものが、
取材対象に対して、何らかの「力」を働かせるものになる。
そういうことがあります。

つくづく危険な行為だな
って、思います。

それでも、
私が書き続けてしまうのは、

取材を通じて、
私自身が、何かを感じ、得るものがあるからだと思います。

私が書いたり、撮影したものが、
誰かに届き、
巡り巡って、
取材で関わった方々に還元できるように、

今日も、また一歩。
頑張ろう。


写真は、三軒茶屋にある「愛と胃袋」さんのお料理
見た目も美しい。