2015年6月26日金曜日

何もかも捨てて、旅にでたい



「何もかも捨てて、旅にでた~い!」

お天気が良いと、そんな気分になることがあります。

現実逃避でしょうか?

「何もかも捨てて」と、

わざわざ言ってしまうのは、

自分の目の前にある仕事や、

自分の置かれている環境について、

嫌だなぁ…。

面倒だなぁ…などと、

思っているからかもしれません。

「何もかも捨てて」と言うけれど、

捨てたいものって、何でしょう?

自分の現実にしっかり向き合うと、

本当に必要なものが何か分かるはず。

自分で、自分に聞いてみます。

要らないものに気がつくと、

自然に捨てられる気がします。

「何もかも捨てて、旅に出たい!」

というのは、

私の場合、

「目の前にあることを整理して、すっきりしたい!」

と同じかな。

6月も、もうすぐ終わりです。

もやもやを、吹き飛ばそう♪

2015年6月24日水曜日

胸きゅん

ちょっと、胸きゅん。

生まれて初めて、蛍(ホタル)を観ました。

東京都内ですが、渋谷から電車で約2時間。

奥多摩方面にある「鳩ノ巣駅」。

駅の名前から「鳩の巣」ですから、

鳩が巣をいっぱいつくってしまうほど

自然が豊かな地域なのだと思います。

蛍の求愛は、

メスが、じっと待っていて、

オスが頑張って飛んでアピールする。

そんなシーンに、胸がきゅん。

となりました。

オスがメスに向かっていくとき、

火が垂れるように飛ぶから「火垂る」なのだそうです。

はじめて知ることが、いっぱいでした。

例年は7月初めから見られるそうですが、

今年は、少し早いそうです。


2015年6月23日火曜日

求めるのではなく、与える



自分のもっている良いところを見つけて、それを大切にする。

その良いところを、

誰かのために役立てられないか、考えてみる。

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松浦弥太郎さんの言葉です。

GIVE & TAKE」という言葉は、好きではないけれど、

与えることと、得られることは、表裏一体という気がします。

自分の良いところを見つけて、

それを自分だけではなく、

誰かのために役立てようと考える。

求めるのではなく、与えることから始める。

そういう気持ちを持てることが、豊かなのだと思います。

「与える」ことは、「得る」ことなのかもしれません。


2015年6月18日木曜日

【道をひらく】上がりっぱなしもなければ、下がりっぱなしもない




波乱万丈の人生と、平々凡々の人生、
選べるとしたら、どちらがいいですか?

私個人は、平々凡々を選ぶ気がするけれど、
時々、思い切ったことをする側面もあるので、
実は、波乱万丈に憧れているのかもしれません。

平々凡々だと思っている人生にも、
小さな山や谷はあると思いますし、

他人から、波乱万丈な人生だと思われても、
本人は、心穏やかに過ごしているかもしれません。

松下幸之助さんの「道をひらく」の中に、次のような文章がありました。

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人の歩みには、大なり小なり浮沈がつきまとう。

上がりっぱなしもなければ、下がりっぱなしもない。

上がり下がりのくりかえしのうちに、

人は洗われ、磨かれてゆくのである。

たまたま上にいたとて、おごることは少しもないし、

下にいたとて悲観する必要もない。

要は、素直に、謙虚に、そして、朗らかに、希望をもって歩くことである。

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結局は、自分自身が、どう生きていくか、その姿勢なのだと思います。

素直に、謙虚に、朗らかに、希望をもつ。

日々、これを実践できたらステキ。

がんばろう。

■読みたい方は

2015年6月16日火曜日

わがままは、「我が」「思うがまま」

まずは、「わがまま」になってください

今、目の前の課題に対して、あなた自身はどうしたいのか。

「わがまま」=「我が=自我」「まま=思うまま」

最初から、周りがどうの、状況がどうのという
条件付けから始まるのでは、つまらない。
そこから、良いアイデアや企画は生まれない。

まずは、「わがまま」になること。

自分が「こうしたい」という思いを、アイデアとしてぶつける。

調整は、その後からで間に合います。

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おはようございます!
河原由香里です。

加藤昌治さんの著書「考具」を読み直してみました。

上記は、「考具」に書かれていた言葉です(一部改変)

10年以上前に出版されて話題になった本なので、
ご存じの方が多いと思いますが、改めて、なるほどと思いました。

目の前の課題に対して、自分がどうしたいのか?

「わがまま」に考えているようでいて、

実は、そうなっていないことがあります。

根拠のないことを心配したり、

不安に駆られたりして、

「わがまま」に考えていなかったりする。

加藤さんは、
「わがまま」から生まれたアイデアを、
具体的な企画に落とし込んで実行するうえでは、
「思いやり」が必要と指摘されています。

「わがまま」⇒「思いやり」という思考の手順です。

「思いやり」も大切だけど、
あくまでスタートは「わがまま」ということ。

まずは、

自分が「こうしたい!」という思いを抑えつけずに、

「わがまま」になってみるということだと思います。

でも、

「わがまま」って、簡単なようで、むつかしい。

むつかしいようでいて、実は、シンプルなのかもしれません。

2015年6月15日月曜日

あじさい



おはようございます!

6月もちょうど真ん中ですね。

都内でも、紫陽花(あじさい)の花が見ごろです。

紫陽花は、私が好きな花の一つなので、

花ことばをネットで調べてみたのですが、

西洋的には、「移り気」「高慢」「冷酷」・・・など、

あまり良いものがなくて、残念。

日本的には、

「元気な女性」「辛抱づよい愛」「家族団らん」など

温かい意味の花ことばになっているようです。

小さな花が寄せ集まって1つの花になっていて、

色の変化も面白いですよね。

紫陽花は、青、赤、白、どの色もステキです。

今日も元気に!


2015年6月11日木曜日

勝つか、負けるか

勝つか、負けるか。

スポーツの世界の勝敗は、はっきりしている。


勝敗を分けるのは、
体力や、技術や、メンタルというけれど、

結局、

その人の、魂みたいなものによるんじゃないか。


人間としての素のところ、

どう生きたいか。

どう在りたいか。

そうした部分に、強さが宿る気がします。

昨日は、久しぶりに、後楽園ホールでボクシングを観戦。

数年前までは、ボクシングのように、

互いになぐり合う競技を見るのはつらくなるかもしれないという

先入観を持っていました。

でも、実際にボクサーを観た時、美しかったです。

先入観は間違いでした。


魂のレベル、その域まで、私はまだ到達していないけれど

日々、修行です。

2015年6月8日月曜日

自然の恵み



おはようございます!

「自然って、すごいなぁ」

「自然の恵みに感謝」と感じました。

長野県上田市関連のイベント、

銀座NGANOで開催された

NPO法人やまぼうし自然学校主催の

「自然の恵みでクラフトづくり♪」

に参加してきました。

クラフトの材料は、

菅平高原で手に入れた木の実や小枝。

材料が、どんな木の枝のものなのか。

どの木の実なのか。

はじめて知ったものもありました。

どの材料も自然が生みだしたもので、

工場でつくられた製品とは一味違う形があり、趣があります。

手で触ったときの感触にやさしさがあり、癒されます。

私は、桜の木の土台を紙やすりで磨き、

松ぼっくりや、小枝を上に乗せて

ボンドで貼り付けました。

出来上がりは、写真のとおり(#^.^#)

手作りは好きなのですが、センスは自信なし。

でも、なんとか完成しました。

材料になったもの、自然の中で観てみたいと思っています。

今日は月曜日、

都会のド真ん中から、仕事へ。いってきます。


2015年6月5日金曜日

【コトノネ】 働ける自分が好きです



働ける自分が好きです
前は働くことができなかったんですから

季刊誌「コトノネ」http://kotonone.jp/

Vol 14 で取り上げられていた

JAおきなわ 津波古広樹さんの言葉です。

津波古さんは、30代のはじめに統合失調症を発症。
入退院の後、JAおきなわに就職。

職場の同僚の「おかげ」で、仕事と自分がつながり、
現在はいきいきと働いているそうです。

「働ける自分が好き」という一言。

響きました。

働いていると、それを「当たり前」と思うようになり、

仕事の内容や、職場について、
「もっと、こうしたいのに」とか、
「もっと、こうだったらよいのに」と不満をもつこともあります。

足りないことに気付くことは大切ですし、

改善や向上を目指すことは、悪いことではないけれど、

それが実現しないとき、気持ちが不平や不満をこぼすほうへ
向いてしまうのは、少し残念なことかもしれません。

「働ける自分が好き」

お給料をいただく仕事について「働く」にとどまらず、
世の中で何らかの役割を担うことを「働く」だとすれば、
年齢問わず、誰もが皆、「働ける自分が好き」だと思います。

「働ける自分が好き」という原点を
心においておくこと、大切ですね。

「コトノネ」Vol.14 は、沖縄特集。
読みたい方は⇒ http://goo.gl/4F2cdX

ゆっくり旅にいきたいです。


2015年6月3日水曜日

強さと弱さ

見たくなる選手(人)は、そうさせる何かを持っている。

テニスの錦織選手は、その一人でした。

その人の持っている「強さ」かもしれないけれど、

その「強さ」の裏には、実は、「弱さ」があるのかもしれません。

強い人は、自分の弱さを知っている。

だから、強くならざるを得ない。

そんなことを感じた文章を思いだしました。

サッカーの元日本代表・中田英寿選手と、

作家の村上龍さんの対談集「文体とパスの精度」(集英社文庫)

のあとがきに、

「個人が生きていくためのスキル」をテーマにした対談が

おさめられています。

中田選手は、村上さんとのやりとりで、

自分自身について、次のように話しています。

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強い人というより、強くならざると得ないというのが正しいですね。

僕は、そういう意味では「弱い」といったほうが正しいのかもしれない。

(すごく傷つきやすかったり、柔らかかったりするから)

そのぶん、武装というか、いろいろなものを身につけて

ひとりでどうにかやっていかなくてはいけないから、

強くならざるを得なかったというのが正直なところです。

自分でいうのも何だけれど、もともとセンシティブだと思うし、

それと昔から意志が強かったというのもあるだろうし、

自分のやりたいことをやるためには、

それなりのものを身につけていかなきゃいけないといつも思っていた。

そういうことをいつも考えていたから、それが徐々に徐々に自分に

身についていったということだと思います。

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強くなろうとするのではなく、

弱さを見つめることで、自然に強くなる。

そんなことかなと思います。


 ■写真は、多摩産のしまらっきょう。素材のパワーを感じた一品でした。

2015年6月2日火曜日

【目の見えない人は 世界をどう見ているのか】見えない人に、見えている世界とは


「障害」という言葉には、
何かが「できない」、「不自由」という
意味がついてまわります。

でも、実際に、「障害」のある人と接していると、

「障害」って何だっけ?
「健常者」といわれている人にも、
「障害」と呼んでいいような「できない」ことはあるよね?

と感じることがあります。

目が見えている人に、見えない世界があり
目が見えない人に、見えている世界がある。

「目の見えない人は 世界をどう見ているのか」
(伊藤亜紗・著 光文社新書)
は、とても興味深い指摘が満載の一冊でした。

視覚障害のある人は、
視覚的に見ていないけれど、世界を見ている。

では、どんなふうに見ているか。
いくつかの例をひいて、説明されています。

私が2005年に制作した映像作品
「見えないあなたと美術館へ」

で紹介させていただいた

言葉による美術鑑賞の取り組みについても
取り上げられています。

目の見える人にとって、
世界の捉え方を変える本かもしれません。

『目の見えない人は 世界をどう見ているのか』
読みたい方はhttp://goo.gl/aXPezT