2016年10月13日木曜日

【アフロ記者が記者として書いてきたこと。退職したからこそ書けたこと】 負けることがわかっていても



元・朝日新聞社の論説委員、稲垣えみ子さんの著書、

「アフロ記者が記者として書いてきたこと。退職したからこそ書けたこと」

を読んでいて、私が、魅かれた言葉があります、

その一つは、「コミュニケーション」に関するもので、次のような言葉です。

“コミュニケーションとはそもそも心がザワザワするところから始まるものだ”

“ザワザワするから気になる”

“知りたいと思う”

“そうした過程を経て初めて人は認めあうことができる”

コミュニケーションの原点に触れていると思います。

文章を書くことも、コミュニケーションの一つの手段であり、

自分だけが読む日記のような文章は、自分自身との対話になり、

誰かに読んでもらう文章は、誰かに問いかけたり、答えを発したり

しているのだと思います。

私が文章を書く時は、ザワザワしていることが多いので、

とても共感できる言葉でした。

ザワザワするのって、居心地がいいわけではないけど、

それが、対話や、文章を書くときの原動力になっているので、大切な感覚です。

もう一つ、本書の中で魅かれたのは、次の言葉でした。

“人は負けることがわかっていても、懸命に努力するしかないし、

それは報われずとも何がしかの意味はある。

そう信じて、1日1日を生きるしかない”

どんなに頑張っても、努力をしても、希望が叶わないことがあります。

伝えても、伝えても、届かないと感じることもあります。

でも、振り返りながら、思うのです。

「何もしなかったら、どうなのか?」

「何もしなかったら、よかったのか?」

私の場合、何もしないままでは、いられない。

「報われずとも、何がしかの意味がある」と、

信じることに意味があるのでしょう。



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