2017年1月10日火曜日

「頑張る人」も、「頑張れない人」も、「頑張らない人」もいる。ただ、違いがあることを認めて、ともに戦うには?NPOで働く女性をテーマにした本【N女の研究】より




中村安希さんの著書「N女の研究」は、
NPOで働く女性(=N女)を対象にしたインタビューを踏まえて書かれた本です。

N女」といってもさまざまな方がいますが、
この本の取材対象となった「N女」から、
著者が盗みたいこと(学びたいこと)として挙げているポイントがあります。

その一つが、「人は、自分とは違うという事実を受け止めること」

[様々な壁にぶつかりながら、女性たちがそれぞれの道で奮闘してきたことはよく分かる。
ただし、他の人に自分と同じ奮闘を期待してはいけないとも思う。あなたは育児も家事も仕事も完璧にやってきたスーパーウーマンかもしれない。
すごい努力をしたのだと思うし、きっと環境にも恵まれていたのだろう。
しかし世の中の誰もが、あなたのように強いわけではないし、優秀で努力家で環境に恵まれているわけではない。
あるいは良妻賢母として役割を果たしてきたあなたは、立派だと思う。
でもみんながみんな、あなたと同じ家事能力や忍耐力を持ち合わせているわけではない。
世の中には、いろんな理由で「働けない」「産めない」「頑張れない」人もいるし、いろいろな事情から「働かない」「産まない」「頑張らない」という選択をしている人たちもいて、そこには、正しいも間違いもなく、ただ、違いがあるだけがある。
N女たちは日々、いろいろな立場(自分とは違う立場)にいる人たちを、違いのままに受け入れながら活動している](本書・第4章より)

自分が一生懸命に頑張り、壁を乗り越えてきた経験をすると、
他の人にも、その頑張りや努力を当てはめようとしてしまうことがあります。

他の人の問題を解決しようとして、抱えてしまうこともあります。
そんな時は、無意識に、「こんなに頑張っている」「こんなに耐えている」という思いを抱えているかもしれません。

著者は、「自己犠牲によって解決を図ろうとすることは、敵対や分裂を産み、根本的には何も解決しない」といいます。

自己犠牲をせず、他人と比較もしない。
ただ、違いがあることを受けとめる。
そして、ゆるやかな連帯を維持していくために、
利害の一致しない隣の女性のために、一緒に戦うことが、
女性をとりまく社会的な課題を解決することにつながるというのが、著者の考えです。

私自身、自分の考え方や生き方と照らし合わせてみると、
「ただ、違いがあることを受けとめる」という、このシンプルな考え方を持つことが、実は、案外、難しいのかもしれないと思っています。

「これで、いいのだろうか?」と不安に駆られれば、
「自分は、これでいいのだ」という確信を持つために、
自分と他の誰かを比べてしまうことはあるし、
自分の言動に賛同を求めてしまうこともあります。
それが強く出ると「あなたも同じように頑張って」という押しつけになる気がします。

「頑張る人」も、「頑張らない人」も、「頑張れない人」も、いる。

それを認めたうえで、緩やかにつながり、社会の中にある課題を解決していくために、ともに戦う。

そんな懐の深い考え方を持てたら、いいのだけれど…。


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