2017年5月23日火曜日

【標的を探す、粗を探す、探しているものは何ですか?】

出雲名物のバラパン

標的を探して、叩く。
誰かの粗を探して、攻撃する。

高橋源一郎さんの著書「ぼくらの民主主義なんだぜ!」を読みなおしていて、
一般社会の中で発生するいわゆる「バッシング」や、ネット上での「炎上」について考えています。

一言で言えば、余裕がないのか、
叩いたり、攻撃することで、自分を正当化して満足する傾向があるのか。
うまくいかない原因を、自分の中にではなく、他人のせいにすることで、安心するのか。
原因はよく分かりませんが、バッシングや炎上には陰湿さを感じますし、気持ちは良くないですね。

ある出版社の社長が、「コミュニケーションの主体は、相手だ」ということをお話されていました。

言葉は、受け取った相手の解釈次第であり、
自分が伝えたい主旨と、相手が受け取った主旨は、ズレる可能性がある。
そのズレを解消するのも、また、コミュニケーションであるということだと思います。

コミュニケーションの主体を、相手に置くことを念頭にしたら、
バッシングや炎上も減るのかな。

標的探しや、あら探しをする人が、探しているものは、何だろう?

探しているものは、相手の中ではなく、自分の中にあるのではないかな?

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