2017年5月25日木曜日

【そこにあるものを、見よう】




2020年 オリンピック・パラリンピックに関連して、さまざまな物事が動いています。
国のレベルで言えばオリパラ関連の予算がそうですし、民間企業がCMに障害者アスリートを起用したり、障害者雇用に熱心になったり、スポーツのイベントが盛んに開催されたりしています。

2020年オリパラなんかより、重要なことがあるんじゃないか。
超高齢社会に突入しているのだから、医療や介護の施策にもっと力を入れるべきなんじゃないのか。
オリパラで儲けるのは、大手の企業ばかりなんだ…。などなど、
そんな意見が聞こえてくることもあります。

「意見」について、高橋源一郎さんがスーザン・ソンタグの言葉を引用して、次のように紹介しています。

「意見というものの困った点は、私たちは常にそれに固着しがちだという点である。何ごとであれ、そこにはつねに、それ以上のことがある。どんな出来事でも、ほかにも出来事がある」
そこにはつねに、それ以上のことがある。目に見えるそれ、とりあえずの知識で知っているそれ、それ以上のことが、そこにあることを覚えておきたい。なにか「意見」があるとしても。(「ぼくらの民主主義なんだぜ!」より)

自分が何らかの「意見」を持ったとき、その意見は、自分の目で捉えられているものや、自分の知識で解釈できるものを基にして生まれたものですね。
しかし、自分の目で捉えられるものや、自分の知識は、ある程度の範囲のものでしかないはず。つまり、捉えていないもの、解釈できていないものがあるということを、心のどこかにおいておくことが大切ということだと思います。

「それ以上のもの」を捉えられるような、「余白」「余地」を心の中において、
そこにあるものを見ようとする姿勢を持ちたいですね。

2020年に向けて。


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