2017年6月21日水曜日

「あ、変わった」と思えると、やっぱり、面白い

パラスポーツの取材をしていて、
面白いのは、変化を感じるときだ。

先週末、駒沢オリンピック公園陸上競技場で開催された日本パラ陸上競技大会を見ても、やっぱり、面白いと思った。

車椅子(T53)女子の中山和美選手の体が、
昨シーズンと比べて、一回り大きくなっていたからだ。

自分の目で見て感じたことを確認したいと思い、
中山選手に尋ねると、間違いなく大きくなっていた。
体格のよい海外の選手たちと勝負できるように
体づくりに取り組んだ結果だという。

私は専門的な知識を持ち合わせていないので、
その時々で「変わった」と思うだけで、特に分析はできない。

ただ、一つの変化を見つけると、
その変化が、これからどのような影響を及ぼし、
どのような結果に結びつくのか、気になってくる。

「あ、変わった」と感じることのなかには、
これから成長するのではないかと思うものもあるし、
後から振り返ると、まったく勘違いだったと思うものある。

動物的な直感に依るのだが、
「あ、変わった」と感じたことは、
とりあえず、取材の引き出しに入れるようにしている。

小さな発見だと思っていた変化が、

2020年の景色を描くうえで、重要なものになるかもしれないからだ。

2017年6月20日火曜日

「しない」ことに、意味があるんです



「目標や計画を立てるんですけど、思うように実行できないんです」

コーチングのクライアントさんから、そんなお悩みの相談がありました。

「できない」ものが見つかったら、それは、チャンスです。

「できない」には、「できない」理由があるからです。

その理由が、とても大事。

そこに意味があると思います。

作家の神谷美恵子さんは、

「生きがいがない、となげく人は、自分の主観的な感じにとらわれすぎているのではないだろうか。自分というものに執することをやめれば、目の前に現れ出るしごとや楽しみに身を投げかけて、対象そのものになり切ることができる。そのときには、生きがいを感じているかいないかは問題ではなくなる」

「私たちの小さな頭で、ただ、有用性の観点から人の存在意義を測ってはならないと思う。何が有用であるか、ということさえ、本当は人間にはわからないのではないか。
「人の役に立つ」とみえるもののみが価値がある、とは、私は決して思っていない」

と書いています。

人は、ついついDoing(すること)に目が向けがちですが、
Being(あること)に目を向けると、見えるものもあります。

ありのままの自分(Being)で良いのだと受け入れることが、
何かをする(Doing)ための前提だったりしますよね。


「何もしない」なら、「しない」状態に意味があるのだと思います。
「しない」も大切にできる心を持ちたいと考えています。

2017年6月19日月曜日

「○○しなければならない」それって必要ですか?




「私たちが、傷ついたり、腹をたてたり、悩んだりする、
その本当の原因は、相手や状況にあるのではなく、
私たち自身の受けとめ方、考え方にある」

ある本に、こんな指摘がありました。

たしかに、その通り。

受けとめ方、考え方を変えることができたら、
傷ついたり、腹をたてたり、悩んだりすることを変えられる気がします。

でも、自分自身の受けとめ方、考え方って、
無意識な部分もあり、自覚しにくい。
自覚をしていても、変えることが難しいものですね。

私自身、トライ&エラーですが、
コーチングの手法から、受けとめ方、考え方を自覚したり、
変えたいものは変えていくコツを学んでいるので、
いくつか紹介してみたいと思います。

①自分の感情や状態をそのまま受けとめる

「腹をたてている」「悩んでいる」という感情を、
空の上から眺めるような気持ちでうけとめて
「今の私は、こうなんだ」と認識すること。

②その根拠となっている事柄は、何かを考える

「腹をたてている」「悩んでいる」などの感情が認識できたら
次は、その原因は何かを言葉にしてみます。

例えば、「後輩がきちんと挨拶しなかった」(理由)→「腹をたてている」(感情)


③原因の背景にある、自身のビリーフを明らかにする

ビリーフとは、信念。自分の信じ込み、思い込み。
分かりやすくいえば、「○○しなければならない」というものに当たります。

後輩が挨拶をしなかった(事実)
 ↓
「先輩、後輩の上下関係はきちんと保たれるべきだ」(ビリーフ)
 ↓
腹が立つ(感情)

このような流れを確認します。


次に「○○しなければならない」と考えていることについて、問い直していきます。

例えば、先ほどの、「先輩後輩の上下関係が保たれるべきだ」というビリーフについて

何を根拠に(どんな経験から)、それを信じるようになったのか?

それは、合理的なものなのか?

それを信じることで、何を得ようとしているのか?

それを信じることは、私が望んでいる人生にどんな影響をもたらすのか?

問いを立てていきます。

「仕事は、成果主義だから、必ずしも先輩後輩の上下関係が重要でない場面がある(合理的ではない)」とか
「腹が立ったのは、後輩が自分を先輩だと思っていない気がして、馬鹿にされたように感じたからだ(後輩が本当にそう考えているかどうかは、挨拶の有無だけでは分からない)」
「先輩として扱われると、気分がよい(自己肯定感が高まる)」
などなど、自分が大切にしているもの、求めているものが浮き彫りになってきます。

なかなか難しい面もありますが、

まずは、自分を知ることが、物事の受けとめ方を変える基盤になっていくように思います。

2017年6月16日金曜日

「人づきあい」と「自分づきあい」



西村佳哲さんの著書「自分をいかして生きる」の中に「人づきあい・自分づきあい」というテーマで書かれた一節があり、コミュニケーションについて解説しています。

コミュニケーションという言葉には、自分と他者の対話が頭に浮かぶけれど、
もう一つ、自分と自分自身の間でのコミュニケーションがある。
自問自答するような時、自分は、自分自身とコミュニケーションしており、
人のコミュニケーションには、【自分】と【他者】と【自分自身】が存在する。
人は、まず、自分の内面に意識が向き、自分と自分自身の間で対話しながら、
自分が何を感じているか、考えているかを確認している。

西村さんは、自分と自分自身の関係性は、自分と他者との関係性に反映するといいます。

例えば、自分に無理を強いる人は、他人にも同様に無理を強いてしまう。
他人の話に耳を傾けない人は、自分自身との声にも耳を傾けない。
自己肯定感が低い人は、自分と自分自身の間の対話で肯定感を十分に育めなかった人です
が、そういう人は、他人に対しても肯定感を抱きにくい。
人づきあいは、他者とのつきあい。
自分づきあいは、自分自身とのつきあい。
その双方を調整していくことが大切ということでした。

私が使っているコーチングの技術は、人に問いかけていく技術ですが、
それは、正しい答えを求めるものではありません。

コーチングを受けているクライアント(顧客)さんが、
コーチングのコーチからの問いをきっかけに、
自分自身に問いかけ、
自分と自分自身の間の調整することになります。

良い質問は、自問するためのもの。
自分自身に問いを発していただけるようにしていきたいと考えています。

6月24日(土曜日)渋谷にて
コーチングの手法を応用した
「2020年の私を描く「自分掘り起し」ワークショップを開催します。

■参加お申込みは、下記のフォームから、お申込みください
https://www.kokuchpro.com/event/53a845db07bb2ed76d0fd9ec53dabb52/entry/







2017年6月15日木曜日

簡単になぐさめられてはいけない


簡単になぐさめられてはいけない

鴻上尚史さんの著書「孤独と不安のレッスン」の中に
「簡単になぐさめられてはいけない」という一節があります。

鴻上さんによると、
孤独と不安には終わりはなく、それらに向き合い、楽しんで、生きていくことが大切。

孤独と不安をごまかすために、勇ましい国家論、密着する家族、詐欺のような金儲け、社畜が好きな会社などに すがりついたりしないようにしてほしいそうです。

インターネットにはまるのも、すがりつく行為の一つ。
なぜなら、「簡単になぐさめられてしまう」から。

ネットを使って仕入れた情報やつながりで、
とりあえずは、孤独と不安を埋められるかもしれないけれど、
それは応急処置にすぎず、根本的な解決にはならないからです。

この一節を読んでいて、
自分自身の経験を振り返ってみると、
「簡単になぐさめられてしまう」ものは、その時々で、いろいろあって、
上っ面だけの優しさだったり、
その場しのぎの人間関係だったりなどが思い当りました。

それらはマイナスなものだと言いきれないけれど、
「簡単になぐさめられてしまう」ことを選んでいると、自覚することが大切なのかもしれません。

鴻上さんは、
「何をしたらいいか分からない」ということを学ぶ必要があるともいいます。
人は、人生のどこかで必ず、「何をしたらいいのか分からない」状態になるので、できれば若いうちに、「何をしたらいいのか分からない」という状態を経験して、その孤独や不安を経験し、慣れておく。

簡単になぐさめてくれるものにすがるのではなく、
自分自身で、「何をしたらいいのか分からない」というその現実に向き合う。
分からなくて、途方にくれる。
そうしていくうちに、孤独と不安と向き合って生きていく覚悟が決まるものかもしれません。





2017年6月14日水曜日

【かっこいい齢の重ね方って、ありますか?】



 
「同世代の友達なんて、つまんないからひとりもいない!」
潔いタイトルがついたページに目がとまり、ページをめくりました。

都築響一さんの著書「独居老人スタイル」

「独居老人」と聞くと、孤独で、寂しそうなイメージを持ってしまいがちですが、
この本は、若い人以上に元気で、自分を貫いて、一人で楽しそうに暮らしている老人を取り上げています。

その一人が、鳥取県で輸入用品雑貨店を営む水原和美さん。
水原さんの店には、50歳以上も歳が離れた若い子たちが集い、
話をちゃんと聞かなかったり、態度が悪かったりすれば、水原さんに怒られたりしている。

水原さんが相手にするのは、若者だけ。
水原さんが誘っているのではなく、若者が自然に集まってくる。
それが「楽しいからやっている」だけだといいます。

水原さん曰く
「同世代の友達なんて、一人もいない。大っ嫌い。近所のゴシップだとか、病気の話とか、くだらない話ばかりで聞いていられない」とのこと。
近所づきあいもずっとしていないそうです。

水原さんは若者に対して優しいわけではなく、
むしろ、びしっと怒ることが多い、うるさいオバサン。
その怖くて、うるさいオバサンのもとに若者が集まるのには、
やはり理由があるのでしょう。

水原さんにお会いしたことはないけれど、
おそらく、自分の価値基準の軸をしっかりと持ち、
それに基づいて、良いこと、悪いことを、ストレートに言葉にして、
相手にぶつけることができる人なのだと思いました。

同世代の人から、近所の人から「変わっている」と思われても、関係ない。
自分を貫いて、齢を重ねていけるのは、かっこいいですね。

2017年6月13日火曜日

限界を超える、想像力



自分一人で考えていることは、限界がある。

そう思うことが増えたので、自分とは異なる分野で活躍している人たちに会ったり、話を聞いたりして刺激を受けたいと思っています。

自分の幅を広げて、限界のラインを拡げる作戦です。
力を発揮するのが想像力だと思います。


他人の言動について、心にひっかかるものがある時、
その相手が、なぜ、そのような言葉を発したのか。
なぜ、そのような言動になるのか。
「おそらく、こうだろう」という理由が、外れてはいないか。
「こうだろう」という理由を踏まえて、相手にどうしてほしいのか。
想像してみる

「もし、自分が相手の立場だったら?」

想像してみることが、突破口になる気がします。


2017年6月12日月曜日

「きらめき」って、食べられるんですか?


作家の綾瀬まるさんのエッセイに
スポーツ観戦を素材に書かれた「きらめきを食べる」があります。

綾瀬さんは、相撲の某大関を応援し始めたのですが、その理由は、自分と同じ年だったから。「この力士に負けてほしくない」と思いながら観戦するようになり、そこで気が付いたのは、「他人の人生のきらめきを食べている」ということ。

なぜ、「きらめきを食べている」のかといえば、
大人になるにつれて自分の欲求が自分一人では埋められないことが増えたので、
他人の人生のきらめきを咀嚼することで、代わりに埋めている。

同じ年齢の大関が、若くて勢いのある力士に「負けてほしくない」という気持ちが沸き、
実際に対戦して、大関が勝利をして安心する。

大関は、綾瀬さんにとって「こうあってほしい」を実現してくれる存在になり、
綾瀬さん一人では埋められないものを埋めれてくれたと思い、

「他人の人生のきらめきを食べている」ことに気が付いたそうです。


綾瀬さんとは少し違うけれど
パラスポーツの取材をしていて、きらめきを感じることがあります。

怪我から復帰した選手が、ようやく以前のようなパフォーマンスに戻りつつあるのが分かった時。

国際大会に出て世界トップクラスの選手たちから刺激を受け、自分の足りない点を口にしている選手の言葉を聞いた時。

日頃のトレーニングを支えてくれている人や、地域の人たちに心の底から感謝を示している選手の姿を見た時。

パラリンピックのような大きな大会でのパフォーマンスよりも、そこを目指していく過程に、きらめきがある気がします。



2017年6月8日木曜日

言葉で、どこまで説明できますか?



河瀬直美監督の最新作映画「光」は、いろいろな問いを与えてくれる映画でした。

この映画は、視力を失いつつあるカメラマン(永瀬正敏)と、視覚障害者のために映画の登場人物の動作や情景を言葉で伝える音声ガイドの女性(水崎綾女)の物語。
公式サイト:http://hikari-movie.com/

ネタバレになってしまうので詳細は避けますが、
観終わった後、私にとって、問いの一つになったのが、
「言葉で、どこまで説明できるか?」ということ。

「音声ガイドをする映画の世界を、どのように言葉で伝えたらいいのか?」
ということを考えていくと、

日常の中でも、自分のとらえている世界と、他人がとらえている世界とは
異なる部分があることを意識することになります。

つまり、自分の世界観を、他の人に伝えたり、共有したりするのが
「言葉」だと思い、

一方で、同じ「言葉」を使っていて、思い浮かべる物事がずれることもある。
言葉を使うことで、世界観のズレがハッキリすることもある。

言葉は、人それぞれの世界観をつなぐのか、それとも人それぞれの世界観の違いを明らかにし、断絶させるのか。

なんてことを考え始めるたら、もやもやしました。

このもやもや、私は、嫌いではないです。



2017年6月7日水曜日

平凡を非凡に生きるには?



仕事はすればいい(doing)ものだと、考えていませんか?

仕事はこなせばいい、済ませてしまえばいい。

ちょっと面倒だったり、やっかいな仕事はなおさら、そんなふうに
私は考えてしまいます。

ノートルダム清心学園元理事長の渡辺和子さんは、
アメリカのボストンの修道院で夕食の準備のため、食器やスプーンを並べている際に、あるシスターから

「夕食を食べる一人ひとりのために祈りながら並べなさい」
と指摘され、

「仕事は、すればいい(doing)のではなく、仕事は意味のあるもの(being)にすることが大切だ」と気がついたそうです。

時間の使い方は、いのちの使い方になる。
世の中に雑用はない。用をぞんざいにした時に雑用になる。
例えば、草むしりをする時も、非行少年が悪行から抜け出しますようにと祈りながら、根こそぎ抜く。そうすると、つまらなそうにみえる仕事も意味のあるものに変わる。

人間の尊さは、平凡な行いを、意味のあるものに変えることができる。
環境の奴隷ではなく、環境の主人になりえると、渡辺さんは書いています。

平凡を非凡に変えるのは、自分の心がけ次第ということでしょうか。

時間の使い方が、いのちの使い方になるという指摘は、
「命が有限である」ということを改めて、思い出させてくれます。

その時、その時を、大切に。心を込めて生きたいですね。




2017年6月5日月曜日

変えられないもの? 変えられるもの? 変わるもの

芍薬の花が開いてきました

過去は変えられないけど、未来は変えられる

事実は変えられないけれど、事実の見方は変えられる

伝えたいことは変えられないけど、伝える方法は変えられる

「変えられないもの」と「変えられるもの」がありますね。

「変えられるもの」は、自分が「変えよう」と思ったかどうかでしょう。
ほんの少しでも、何かを変えるために行動したかによるのだと思います。

より良い方向に進むために「変えよう」と思うだけで、
それまでの自分とは少し違います。
自分の中で変化を起こしている気がします。

少しでも「変えよう」と思い、
そのために少さくても行動を重ねていく、
すると、いつの間にか、結構、変わっていたりする。

革新的な変化ではないけれど、

日々の積み重ねで、じわじわと自分をより良い方向に変えていけたらいいと思いませんか?

あなたの空は、どんな空ですか?



「空は、心のキャンバス」とか、
「私の心は雨模様」とか、
空に関する表現はさまざまありますね。

空は、心の状態を表すものなのだなぁ、と思うことがあります。

私の場合、青空を眺めて清々しい気持ちになれる時は、
自分の心の中も、比較的、清々しい状態であることが多く、
逆に、気持ちがどんよりと沈んでいるときは、
「空を見よう」という気持ちにはならず、
目の前の景色を見て、何かを感じることさえ忘れている気がします。

自分の気持ちが分からなくなったら、
空を眺めて、どんなふうに見えるのかを言葉にしてみると
その時の気持ちが分かるかもしれません。

あなたの空は、どんな空でしょうか?